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嗚呼、憧れのPDAよ

「あれ、まだ?」と、今となっては半笑いにされてしまう対象となってしまったガラケーですが、私は未だに愛用しております。このご時世ですので、敢えて反骨精神的な意味合いで機種変更をしないのではと勘ぐられてしまうことが多いのですが、全くそのようなポリシーなどなく、単純にボタンが無いというのが不安だというのが主な理由です。それに加えて、iPod Touchを持っているので、wi-fiが飛んでいる空間ならその他の機能は色々と使えるためという理由も大きいです。とはいえ、2世代以上前のものですので、もうOSのアップデートはされなくなり、LINEをはじめとした数多のアプリが起動前に強制終了されてしまう状況になっております。本体の性能に対し、アプリのスペックが上回ってしまっているのでしょう。500mlのボトルに1Lは入らないよという具合に....。

小中学生でも当たり前のようにスマホやタブレットを扱う現代ですが、生まれた頃からデジタル機器やインターネットが当たり前のように存在している世代のことを、「デジタルネイティブ」と呼ぶそうです。定義がはっきりと定められているわけではないようですが、日本においては1990年以降に青春時代を過ごした世代のことを差すようです。おそらく、小中学校で、PCを利用した授業があった世代でしょうか。思い起こせば、小学生の時代はWin3.1での授業を行った記憶があります(当時最先端のOSは95でした)。我々の世代(私、折笠共に90年生まれ)くらいがその直球世代といえるのでしょうが、やはり転換・過渡期を経て定着することを考えたら、2000年前後に青春時代を謳歌している世代がまさにそれといえるのでしょう。

とはいえ、私の世代はまだアナログ/デジタルの転換期だったことを象徴するエピソードとして、小学生だった時分は、勿論CDは当たり前のように出回っていましたが、録音するというのまだテープが全盛でした。音楽を聴くのは基本テープが主流だったため、CDを再生した後に「これどうやって巻き戻すの?」と母に聞き、「CDは巻き戻す必要がないのよ」と言われ、初めて知った衝撃を昨日のように憶えています。また、小学校に置いてあるラジカセを利用し、「田中」という架空の人物の元に借金を取りにきた呈で「おい、田中~居るのはわかってんだぞ~」「利子ってもんがあんだよ、利子!」と、今思えば子どもも子どもの甲高い声でまくしたてるテープを録音し、聞いてはゲラゲラ笑う日々を過ごしていたように思います。今聞くと大変シュールですが、テープもどこにいったものかと。小学校高学年の頃にウォークマンを誕生日に買ってもらい、大変テンションがあがった記憶があります。

今でこそmp3プレイヤー全盛ですが、私が初めて買ったmp3プレイヤーは、RIOというメーカーのSportという128MB(メガバイトですよ!)のプレイヤーでした。今でこそそんな容量で足りるの!?と思ってしまいますが、アルバムが2~5枚(圧縮方法によって差はありますが)が持ち歩けるなんて、本当に夢のようでした。価格は2万円くらいだったと思います。内蔵メモリ以外に、外部メモリとしてSDカードを差すポートもありました。その当時は128MBのSDカード、1万円前後はしたと記憶していて、8000円台となると、安い!なんて思っていたものでした。今から考えると驚きですよね。MBのSDカードなんて、逆に今だったら見つけることのほうが至難の業かもしれません。

※これです、RIO !!今見ても可愛いデザイン、懐かしい...感涙

私の父親はデジタル機器が大好きな人間で、週刊アスキーをいつも買っているような人間だったので、自分も暇な時に流し読みをしたりして、ある程度の流行を追っていたと思います。その頃から伊集院光がコラムをやっていて「伊集院、なかなかオタクで面白いんだよ」と父が言っていたのを記憶しています。その後、深夜の馬鹿力のリスナーになったのも少なからずその影響があるのではないかなと、今になっては思います。

その当時、子供心に最も憧れ、ワクワクさせられた未来を感じるアイテムと言ったら、なんといってもPDAでした。簡単に説明すると、文章作成やスケジュール管理に加え、メールもネットサーフィンも出来て、ポケットに入るサイズの電子端末です。今で言うスマホの先駆けのようなものです。持ち歩けるパソコン、本当に夢のようで、SF的な魅力を感じた商品だったと記憶しています。

ですがやはり当時はガキ。小・中学生の頃でしたので、勿論おこづかい程度で買えるわけも無く(3~5万ぐらいだったかな?)、ネット接続もISDNでダイアルアップ接続だった時代だったと思いますので(SMAPの中居君の、"ISDNで当たりマウス~♪"というCMがありましたね)買ったとしても定期収入が月1000円あれば良い方の立場ですから、どうあがいてもネットには繋げないような状況だったと思います。

※これです、PDA!色々なタイプ(タッチパッドや、ノートPCを極小化したようなもの)がありました。

 SHARPのザウルスは、最先端を走っていて、様々なタイプが出ていたと思います。

調べてみると、オークションやジャンク品などで、数百円程度からその頃のPDAが手に入るようです。結局使ったところで、現代のネット環境に対応しているかも定かではないですし、スマホの性能と比べてみたら雲泥の差であるのは間違いないのですが、PDAという単語を聞くと、未だに何か未来を感じさせる、まだ見ぬ未開のフィールドに運んでくれるかのような、ワクワクさせられる気持ちになります。別にたいしたことは出来ないですし、メールだって送る相手もいないような時代です。でも、近未来を描いたような未来がそこにあるような気がして、子供心に物凄く興奮した記憶が蘇ってきます。

同じ頃、憧れていたゲーム機は、SEGAのドリームキャストでした。湯川専務のCMが懐かしいところですが、結局は販売不振によって、最終的に1万円で投げ売りされたような記憶があります。でも、このゲーム機にも本当に未来を感じさせられました。結局その当時は購入できなかったのですが、近所のコング(新潟県民はわかると思います)という本屋兼ゲーム屋さんで、カルト的人気を誇る名作「シェンムー」を体験し「何だこの自由度と、グラフィックの美しさは,,,,」と、度肝を抜かれた記憶が蘇ります。ドリキャスは、大学に入ってからハードオフで2~3000円程度で購入し、憧れのシェンムーをプレイしました。10年以上前の据え置きゲーム機ですので、さすがに時代を感じる部分はありましたが、"あの憧れの機器が今手元に!"と、スペックなんて差し置いても本当に嬉しくて、感無量でした。

1年も経つと、めまぐるしく状況が変わってしまうデジタル業界。スマホも気づいたら新たな製品が登場し、ゲーム業界も据え置きに加え、VRという新たな表現方法が加わったことで、日々の進化はめまぐるしいものがあると思います。でも、あの頃憧れていたmp3プレイヤー、PDA、そしてドリームキャストに対する浮き足立ったような、初恋のようなキュンとする感情は未だに色あせていません。bit数やスペック、自由度など今のスタンダードから見たらとても遅れているのは百も承知です。でも、やっぱり僕にとっては、初期のmp3プレイヤー、PDAやドリームキャストは本当に大切な存在で、これから先も私の心の中では"永遠の憧れの存在"として、輝き続けることとと思います。

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